くるくる日和

色々なことをくるくると紡いでいきます。

困った人との付き合い方「感覚でモノを言うヒトっていますよね?」

WEBディレクターという仕事をしていると、感覚でモノを言うヒトに多く出くわします。
そして、大概、そういう人って自分に絶対の自信を持っています(笑)。

 

まぁ、それはともかく。

 

「もう少し眩しく」
「ちょっと斜に構え過ぎ」
「それだと奥行きがない」
などなど。

 

えぇ、これ、僕が最近、実際に聞いた言葉です。
デザイナーと、あるディレクターとの会話の中に出てきた言葉なんですが、正直、自分が言われていたら、「それ、もうちょっと詳しく聞かせてもらって良いですか?」とサンドウィッチマンばりに聞き返しちゃいそうです。

 

でも、なんとなくその二人の会話は幕を閉じました。

 

で、出来上がったデザインは何の変哲も無いデザインでした。

 

うーむ。

 

眩しさはどこにあった?

 

奥行きはどこにある?

そして、どこの部分が斜に構えていて、どこの部分の斜が改善された?

いや、そもそも斜ってなんだ?

と、心の中では繰り返し思いましたが、何も言いませんでした。

 

この話、僕が彼らを面白おかしく思っているように聞こえるかも知れませんが、実は逆なんです。

 

この話って、同じ感覚で話が出来ている人たちから見ると、よく分からん、と言っている僕の方が面白おかしいネタの種なんです。

「こんなことも分からずにディレクターやってるなんて信じられない」と。

 

まぁ、本当の正義とは何か?みたいな話で、立場が異なる人たちの間では、どちらが正しいというのはないです。

 

だから、超極私的な感覚で話されても無意味だと思う僕が正しいのか、間違ってるのかも結論はないです。

 

ただ、クリエイティブなことに携わっている以上、完成したものが全てでもあります。
そのサイトのPVはどうなのか?転換率はどうなのか?思ったような売上に繋がっているのか、と言ったことですね。

 

そこへ向かうためには、参画者の意識、目線を合わせる必要があるのですが、個人的な感覚だけでものを言ってるヒトがいると、和が乱れてしまう、というのは常々僕が思っていることです。
特にチーム内で影響力のある人や、イニシアチブを取らなければならないディレクターがそれではダメだと思っています。

 

どれだけものすごい感覚を持っていようとも、その感覚を誰もが共有できる言葉や図やイラストに落とし込める才能がなければ、ただのおままごとと同じです。

 

これを少し強い言葉で言うのは、自分への戒めでもあります。

 

それは、WEBディレクターとは全く異なる経験が基になっています。

 

昔、学生時代にバーテンダーをやっていたのですが、その仕事が好きすぎて学業よりも優先してバーテンダーの技術を磨くのに時間を取っていました(笑)

 

シェイカーやステアの技術はもちろん、氷をアイスピックで丸くしたり、レモンの皮やフルーツをデコレーションのために複雑な形にカットしたり。

 

それを突き詰めることが、イコールお店のためになるとその時の僕は思っていました。

 

お店のコンセプトとしても、リーズナブルな中にホテルのような質と高潔さを、というのがありました。

 

新たなメニュー考案のためには、プライベートも犠牲にして、家でもシェーカーを振っていました。

 

その頑張りが認められ、異例とも言える学生のまま店長代理の役職を与えてもらいました。
店長は同じビルの二階下にあるお店の店長も兼ねており、彼はもっぱらそっちに行っていたので、実質は僕が店長でした。

 

頑張りが認められた。
つまり、僕が行なっていたことは間違いなかった。
だから、後輩にも完璧を求めました。
ダメ出しなんかも、お客様の前であろうがガンガンしていました。

 

でも、よく考えて下さい。
従業員が怒られている様子を前にしてお酒を飲んで楽しいですか?

 

絶対に楽しくはない。

 

そんなことに気づかずに僕は技術的なことを優先していたんですね。

 

売上は順調に伸びていました。

でも、ある時、先輩社員に言われました。

「お前のお店、面白くないよな」と。

最初は言われている意味がよく分からずに、愛想笑いでスルーしました。

 

その後もお店は順調に売上を伸ばし続けました。

でも、やっぱり先輩社員の言葉が気になる。

あれは何だったんだろう?

僕はある時に、その先輩に聞きました。

「面白くない」と言うのはどの部分だったのか?と。

 

先輩社員はもったいぶることもなく、さらっと言いました。
「お前がお店のことを話すとき、主語が全部“自分”なんだよ」と。

 

最初はイマイチよく分かりません。
自分が言うことだから自分が主語なのは当然しゃないか?とも思いました。

 

でも、その先輩社員は言うんです。
「お店に来てくれる人たちこそが主語じゃなきゃいけないでしょ?」と。

 

「私は」このお店に来て良かった。
「私は」このお店に来て楽しかった。
「私は」このお店を人にすすめる。

 

そう僕の頭の中は技術を優先するあまりにお客さん不在だったんですね。
売上が上がっていたのもたまたまだったんでしょう。

 

それを言われて目からウロコのような衝撃を受けました。
180度視界が変わった気がしました。

 

サービスや商品というものを評価する際、主語は必ずユーザーなのです。
決してサーブする側、商品開発者ではないのです。

 

それ以来、僕は何に対してもユーザー目線と言うものを気にするようになりました。

 

この目線で物事を見るということは、WEBディレクターと言う職業にも、とても役立っていると思います。

 

一方、超極私的な感覚で話す人というのは、大抵主語が“自分”な気がします。

 

だから僕はそう言う人たちと意見を交わさなければならない場合、必ず主語を盛り込んで説明します。
「ユーザーが」、「運営者が」など主語を明確にして話をし、逆に相手の主語が明確でなければその主語は、誰ですか?と質問します。

 

あまりにも“自分”が主語の言葉が多い時には、それはあなたの感覚で、ユーザーの感覚ではないですよね?と諭します。

 

そう、もしもあなたもそういったヒトたちと仕事をしなければならない時には、そんな風に主語を明確にする事で、個人の感覚に振り回されるということは少なくなるかと思います。

 

また、時には自問も必要です。
自分が主語になっていないかな?と。
なぜなら、人はやっぱりどうしても自分目線で語ってしまいますからね。

 

今回のお話が少しでもあなたのお役に立てば幸いです。

 

ではでは、また。